末尾近く読み取り出来ない部分すみ

昭和42年01月11日 夜の御理解



 お道の信心の進め方とでも申しますか。お道の信心の、まぁ進め方、まぁこれは形の上の事でございますけれども、大体こういうような事が言えると思うんです。例えば、朝参りにお徳、夜参りにおかげ。そんな感じが致しますね。朝参りにお徳、夜参りにおかげと。そこで私は思うんですけれども、昨夜のお月次祭の後のお話、御理解頂いておりましても、神様はいうなら椛目全体の者の上に米一万俵のお徳をいわば授けたいと思われておるのが願いではなかろうか。
 一万俵のおかげを頂くというのはそれっきりの事。一万俵の徳と言うたら何時いつまでもその一万俵の徳。食べても食べても一万俵あるという訳です。使うても使うても一万俵あるという事、しかも椛目全体の上に。私一人というのじゃないね。今椛目全体の者が打って一丸になって、なら御造営なら御造営という事に精進させて頂いておるから、是は椛目全体の者の上にこの一万俵のそのおかげはどうでも頂いてもらわねば、
 あれは成就しないのである。ですからそのおかげだけに止まらずに、この一万俵のお徳を神様の願いとしては、受けてくれよという事ではなかろうかと私は思うね。皆さんそのお徳を受ける事にですね、一つ精進なさらなければいけません。それをまぁそれは必ずなら夜参りしておれば、お徳は受けられんかと言うとそうではないけれどもね。雰囲気とか気分からいうて、大体そういう風に分けられるのじゃないかと、こう思う。
 ただ朝参りをする人にも、でも、ただおかげ頂きたいばっかりで参って来ておる人があるかも知れません。ね、けれどもだいたいにおいてです、朝起きは三文の徳と言うて、昔からその徳を受けるように言われております。やはり、朝参り的信心にお徳であり、夜参り的な信心におかげ。そうすと、そんなこれはどうでも、少しは眠かっても、少しはしるしかってもやはり朝参り的な信心でなからなければ。
 うなら馬鹿らしかという事になる。ね、朝参り的な信心によってお徳を受けた。そのお徳にはおかげは、これは頼まんでも付いて来るんですから。ね、けれどもおかげに徳はつきませんです。そうでしょうが。ならここんとこを皆さん、いわば分からせてもらわなければいけないとこだと。今日は初の総代会でございました。ちょっと正月の印に皆さんお神酒さんを、差し上げたんです。
 それで今朝まあ今日は吉井の熊谷さんが今朝頂いておられる事にです、総代が皆集まっておる。そしてそのある総代さんがあの、電気にこうちょっとヒモを引くと小さくなったり大きくなったり、また大きくなったり消えたりという電気が今御座いますですね。私の客間の電気がそうです。一つ引くとちょっと小さい電気が点く、二つ引くと一つがつく、もういっちょ引くと3つ点く、もういっちょ点くとプツッと消えると。
 それがその、総代の方が順々に点けて行く訳なんですね。そして是は小さいからと言うて、次の人がそれを引くと一つ点いた。ならまいっちょ点けんのち言うてから、こう引いた所がその、二つ点いて明るくなった。三本目にならまちっと明るうしようち言うとこで、引いたところがプツッと消えたとこういう訳です。誰もその、明るくなる為に、いわば暗くなる為に引くのじゃないのだけれども、ね。
 明るく成る様にと思うて、はあ引きさえすればこれは明るくなると思うて引いたけれども、やっぱり3回目には消えたとこう言う。そしてそのままになっておる、そのままになっておるその姿が今の言うなら椛目の姿じゃなかろうかと、こう思うのです。そこでその時にある人の声がした。もう一つ引いてごらんち言うて。ね、そしたらその部屋いっぱいに明るくなったというそのお知らせを頂いておられます。
 ですから、もうひとつ、今の椛目の人達はもう一つ引っ張るというところが大事じゃなかろうかと、こう思うんですね。例えば夜参っておる人達がです、ね、朝参りをさせて頂くようになり、朝参りをさせて頂くようになったら、やっぱり有り難い。やはり夜なら夜参りをさせてもらわなければおられないと言う様な所になって来る所に、夜のお参りが賑やかになってくる。いうのであって。
 私は御広前の本当の繁盛という事が、言えるのじゃなかろうかと思うんです。どうぞそこんにきは間違いのない様に頂かなきゃいけん。なら朝参りじゃその、じゃない、夜参りはお徳が受けられないかと言うと、それはそれぞれの事情も御座いますのですからね、例えば夜なら夜お参りさせて頂いても朝参り的信心をしておる人があります。朝参りをしておってもやはり夜参り的な信心をしておる人もあります。
 そこは「内容」その人の信心の、事で御座いますから、ね。しかもこの際、椛目の場合は神様の方が何かこうおかげを受けさせてやりとうしてたまらんと言った様な働きがありよる時ですから、だからもうひと踏ん張り、もうひと頑張り、もうひと引っ張りさせて頂く所にです、次の私はもっともっと明るいおかげが頂けれるという事を感じるのです。
   どうぞ。